町医者 松嶋大ブログ

岩手県盛岡市で「なないろのとびら診療所」を運営する町医者・松嶋大のブログです。

不幸なことだ、でも光栄だ。

(事実に基づきますが、個人情報もあるため一部フィクションです)

 

「本来は不幸なことですよね」

 

後部座席に座る患者さんのご家族に、ぼくは少しだけ振り返りながら話した。

そうですね、と言われたのか、あるいは頷かれたのか、よく覚えてはいない。

 

患者さんは、とある大学病院を退院し、片道数十万円をかけて、数百キロを超えてやってきた。

わざわざ、だ。

どうみても大学病院に入院していたほうがいいだろうし、何より、人生の本当の最期において、地元を離れ、見ず知らずの土地に来ること。

そんな不幸なことはない、と思ったのだ。

 

1ヶ月ほど前に、ご家族から電話があった。

受診したいと。

あまりに遠いからと、もう少し近くのクリニックをお勧めした。

ちょっとして、やっぱり受診したいと連絡があった。

わざわざの受診は大変だろうと、オンラインでお会いした。

「死に方の問題だね」と伝えて、そこは合意できたかもしれない。

厳しい状態だったが一か八かと思い、一旦受け入れることにしたけどほどなくやめた。

理由は、助けられないと思い、こちらに来て死んでしまうと確信したから。

死に方としても良くないと思ったのだ。

 

その後、家族からは何度もご連絡をいただいた。

なるほど、これは死に方の問題だとあらためて思った。

だから、本人にリアルで会い、家族にリアルに会い、語り合うしかないと思った。

診療を早く切り上げ、新幹線で向かうことにした。

17時台に乗れば、最終で当日中に帰ってこれるから。

 

「明日、夜に会いに行きます」とメールを打った。

 

いつもならばレスポンスが早いメールがなかなか帰ってこなかったが、当日になってやっと返事が来た。

 

「入院しました」と。

実はホッとした自分がいた。

もしかして助かるかも、と思ったのだ。

 

その後、入院中に報告のメールが来た。

あらためて、「死に方の問題だ」と思い直した。

一方で、一か八か、最期のかけのような治療の余地も残されているのではとも思った。

どちらにせよ。

 

三度目の正直。

大学病院をほぼ無理に退院し、数時間かけて、数百キロを超えて、オークにやってこられた。

盛岡の施設で受け入れるという考えもあったが、オークがいい、直感的にも、洞察的にもそう思ったのでオークにした。

 

点滴やら、人工呼吸器やら、大学病院でも全くやらなかったという治療をどんどんやった。

体力を考えるとそうとうしんどい治療だったはずだが、本人は苦しい顔を見せることなく、むくみも痰の絡みもなかった。

 

翌日、天使の顔になった。

いらっしゃったときの渋い顔は消えていた。

あれ、もしかして治療が奏効したのか?

ぬか喜びだった。

 

その翌日、旅立った。

ずっとかくれんぼしていた岩手山が久々に顔を出し、雲に一切邪魔されることなく、一部始終を見届けてくれた。

不謹慎だが、この旅立ちを、良い意味で祝福してくれたように見えた。

岩手に来てくれて、ありがとうと。

 

濃厚な三日間が終わった。

同行されたご家族は、隣のベッドを使いながら、四六時中、そばにいらっしゃった。

最期のときもずっとそばに。

献身的という月並みな言葉しか出ないぼくを、恥じたい。

 

あらためて思う。

不幸な話だ。

地元を離れ、来たこともない岩手に、そしてこんな医者に見てもらって。

 

でも、ぼくにとっては、これ以上ない光栄なことだった。

だって、大学病院を退院して、ぼくらにかけてくれたんですよ。

だって、数百キロ、数十万円かけて、ぼくらのところに来てくれたんですよ。

こんな光栄な話はないですよね。

 

治せなかったことを、まずはお詫びしたい。

ただし、最期の場所として、最期の主治医として、八幡平を、僕を指名してくれたことに、ただただ光栄だった、今はただそう思う。

 

ありがとうございました。

 

 

 

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クラウドファンディング、挑戦中!


 

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久々に岩手山、旅立ちの朝に。