生きづらい世の中になった、と思うのは僕だけでしょうか。
障がい者施設や高齢者施設の建設反対というのは、もはや耳にタコができるほどに聞き慣れました。
いつも寂しいなと思いつつ、慣れとは恐ろしいものですね。
最近では、ニュースなどで見ても、「またか」程度になりましたた。
そんな中、飛び込んできたニュースがこれ。
「除夜の鐘がうるさいッ」
ついに、ここまできたか、という感じです。
ただ、ある意味で、新鮮な意見かなとも。
というのも、「除夜の鐘が『うるさい』か否か」という視点は僕には全くなかったので。
年末の風物詩であり、これが自然、つまり常識かなと。
つまり、常識を疑わずということです、僕の場合。
だから、これを、「うるさい」と異を唱えたことは、ある意味で常識を疑うということで、斬新な意見とも思いました、、
とはいえ、どうでしょう。
僕は、このニュースを耳にしたとき、「あぁ、ついにここまできたか」と随分、寂しい気持ちになりました。
もちろん、音が大きくて、迷惑がっている方の存在も理解します。
でも、人間、一人で生きていけませんし。
社会で生きていく以上、大なり小なり、互助の感覚は欠かせないとも思いますし。
総じて、やさしさや寛容さに欠ける社会へと日本はつき進んでいるように思えてなりません。
宮沢賢治曰く、
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
と。
個人主義な昨今、たしかに個人の幸福の追求は大切ですが、個人の幸福の最大化を願いつつも社会のこともちらっと考える姿勢があっても、決して罰は当たらないと思いますけどね。
一方、意見を自由に述べる雰囲気もまた大切だと、この報道をみてあらためて考えさせられました。
ここで余談を二つほど。
私の母校は、毎日朝8時ころから、屋上で、応援委員会が校歌など大声で歌います。
(今も、きっと、やっているとは思うのですが)
僕の母校にとっては至極自然な光景で、自転車通学の僕は、母校が近づくにつれ、校歌や応援歌がだんだんと大きくなり、気持ちが高ぶった思い出ばかりです。
住宅街のど真ん中にある母校です。
もしや、「応援歌がうるさいッ」と訴える(もしくはそう思っている)近隣の方もいらっしゃるのかもと思いました。
もうひとつ、私の近所にある公園なんか、子どもの姿がほとんどないんですよ。
事情を聞いたら、子どもがうるさいとかで、地域の先輩(つまり大人たち)に怒られたからとか。
いやはや、 日本、生きづらいです。
というよりも、めんどくさい!
封印していた移住計画を、本格化させようと思いつつある今日このごろです。
長文失礼しました。
ではまた。
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総合診療をベースに、認知症治療と在宅医療、そして終末期医療に取り組んでいる、事象「患者バカ町医者」の松嶋大が、日々の実践をみなさんに共有し、またみなさんからも共有してもらいながら、これからの「医・食・住」を語り合うサロンです。