町医者 松嶋大ブログ

岩手県盛岡市で「なないろのとびら診療所」を運営する町医者・松嶋大のブログです。

どんな人生でしたか?

30秒はかかったと思う。

 

遺影を前に、弔事を語り出すまで。

遺影の中の元気なお姿に、いろいろな思いが巡り、涙が溢れて、弔事の言葉が出なかった。

 

 

先日、お亡くなりになった患者さんの葬儀にて、弔事を読むことになった。

無論、僕の場合、弔事は読むものではなく語るもの。

事前に用意しない、いや用意できないから、遺影を前にして、思ったことを、思ったままに語る。

いつもこのスタイル。

 

だから、今回のようなことは毎回起こる。

(遺影を前にして感極まって、言葉にならないこと)

 

 

あまりに特別な患者さんだった。

患者-医者関係というより、超歳の差ありの親友というか。

医者としてはたいしたことができなかった。

けども、親友としては少しはできたかなと。

 

 

お亡くなりになる3日前、僕は、いつもの質問をした。

 

「どんな人生でしたか?」

「楽しかった」

 

もう目を開けることも難しかったけど、質問の内容や意図をしっかり噛み砕いてくれて、もう寿命が近い人とは思えないほどに力強く答えてくださった。

 

ちょっとだけ間をおいて、

「最後に大きな仕事ができた」

 

大きな仕事!?

 

なるほど、あれです。

遡ること今年の春、僕らが企画したイベントに登壇してくださり、戦争体験を存分に語ってくださった。

戦争を知る人、戦争を知らない人、いろいろな方がその語りに耳を傾けてくれた。

新聞も取材に来てくれた。

あれを最後の大きな仕事とおっしゃってくれたのだから、嬉しいなんていう言葉だけでは全く足りないほど嬉しい。企画者としてというよりも、親友としても。

 

 

再び往診した。

まだ間に合った!

でも、さらに弱くなり、呼吸も早く、明らかに苦しそうだった。

 

「苦しくないですか?」と尋ねると、苦しくないとおっしゃる。

念のため、もう一度伺うと、やはり苦しくないと。

そんなわけないと思いながら、でも僕の前では弱音は吐くまいとお決めなのか、いかなる理由であっても「親友」の言葉は信じるしかない。

 

 

ただ、僕は医者だ。

さすがに最期が近いことは分かる。痛いほどに。

だから、最後のご挨拶をした。

 

「私を最後の主治医にしてくれてありがとうございました、いやございます。私は、◯◯さんの主治医であった、いやあることが誇りです」

 

過去形を慌てて現在形へと修正したことも、きっと耳に届いたことだろう。

その方は目を閉じつつも、しっかりと頷かれた。

 

 

ご挨拶から、わずか1時間ほどののち旅立った。

あの苦しそうな顔はない。

再び、あの凛々しいお顔に戻った。

やっぱり、こうじゃなくっちゃね!

 

 

ところで、葬儀にて、喪主であった息子さんのご挨拶で、生前故人がよくおっしゃった言葉を披露してくださった。

 

「とにかく楽しくさ、楽しく進めば開けてくる」

 

だいたいこんなニュアンスだったと思う。

なるほど、あの方らしいお言葉だ。

 

 

そうだ、僕もまだまだ楽しく進もう。

親友は去ったが、親友の分も楽しく日々を過ごそう。

 

 

でも、やっぱり寂しいな。

町内会での私の勇姿もお見せしたかったし、アメリカにも一緒に出張したかった。

ついに叶わなかったなぁ。

 

ホント、寂しくなるな。

 

 

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がっちりした手は忘れない